シリーズ チベット問題
では一方のチベット側の捉え方を見てみましょう。
1949年、中国共産党は北京放送を通じてこう宣誓した
『チベットは中国の一部であり、今、外国の帝国に支配されている。チベット人民を解放するために、人民解放軍は進駐する。』
それに対してのチベット政府の声明がこれ・・・・・
『チベットは中国の一部であったことはない。チベットを支配する外国勢力などいない。解放される必要は全く無い。』
当時チベットに住む西欧人は6人・・・・
1950年10月・・・3万5千人の『人民解放軍』が・・・チベットに進駐!
そもそもチベットは五人に一人が僧侶って国。豊かとは言えないが『餓死』って言葉がないくらい、食料には困っていなかった。
ではなぜ中国は当時中国ではなかったチベットを占領しなければならなかったのか。
これは毛沢東の政治戦略上、中国国土が最大面積を有していた頃の領土を目指しているためと考えられます(当然ながら中国からの公式発表はないため推測)。
またチベットも仏教信仰地域であり、当時も今も厳しい身分制度があることはゆるぎない事実で、この侵攻により生活が改善したチベット人はゼロではないでしょう(極少数でしょうけど)。
ダライラマが政教を統治し、平和で友好的な民族であるチベット人。
歴史上、友好的な民族は常に侵略に晒されてきた。
では次に中国のチベット制圧を時系列で追って見ましょう。
毛沢東はチベットを侵略するために、まずはダライ・ラマを操ろうとした。北京に呼びつけたダライラマに対し『チベットは遅れている。だから中国が手助けしてあげますよ。』
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中国は『十七条の取り決め(十七か条協定)』を押し付け、チベットの外交権を奪った。
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大量の軍が進駐したせいで、それまで『餓死』という言葉すら無かったチベットで大量の餓死者が出た。
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コレに抵抗すべく1959年、チベット人は宮殿に集まって、最大のデモである『ラサ決起』を行う。
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中国軍は宮殿に向け集中砲火。民衆も数万人死亡。
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中国の新華社通信は、『蜂起は上層階級の反動的一味』と発表。
どこかで見覚えないですか?
つづく
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